復元画(ふくげんが)「旧石器人(きゅうせっきじん)の生活」 埴輪(はにわ)「三人童女(さんにんどうじょ)」 絵巻(えまき)「三論絵詞(さんろんえことば)」 絵巻(えまき)「七日市藩主(なのかいちはんしゅ)大坂(おおさか)登城(とじょう)行列図(ぎょうれつず)」 錦絵(にしきえ)「上州(じょうしゅう)富岡(とみおか)製糸場(せいしじょう)之図(のず)」 伊勢崎市(いせさきし)の三和工業団地Ⅰ遺跡(さんわこうぎょうだんちいちいせき)をモデルに旧石器時代(きゅうせっきじだい)のムラの様子を再現(さいげん)しました。遺跡の発掘(はっくつ)調査で石器のまとまりがドーナツ状に並ぶ「環状(かんじょう)ブロック群」が発見され、テントが環状に立ち並ぶムラであることがわかりました。 6世紀後半の観音山古墳(かんのんやまこふん)から出土(しゅつど)した人物埴輪(じんぶつはにわ)の一つで、三人の少女は両手を前に出し、弦楽器(げんがっき)を弾(ひ)くような仕草(しぐさ)をしています。埴輪は何らかの儀式(ぎしき)を表していたようです。 お酒が大好きな人と、お酒をまったく飲めない人が、「いったいどちらが幸せな人生を送ることができるか」ということで言い争うお話しです。けっきょく、「人間とは何ごともほどほにできるのがいちばん幸せなのですね」ということに気づきます。 七日市藩(なのかいちはん)(富岡市(とみおかし))を治(おさ)めていた前田大和守(まえだやまとのかみ)というお殿様(とのさま)が乗っている駕籠(かご)が真ん中に、名前や役職名(やくしょくめい)も書かれた家臣がその周りに付き従って歩いています。駕籠の先頭にいる男性は、左手を大きく挙げていますね。 1872(明治(めいじ)5)年、外国の技術を導入(どうにゅう)して、富岡製糸場(とみおかせいしじょう)がつくられたよ。描かれているのは、繭(まゆ)から生糸(きいと)をとった繰糸場(そうしじょう)という場所なんだ。たくさんの工女(こうじょ)さんたちが働(はたら)いていたんだね。